映画時代

寺田寅彦

映画時代書籍情報

底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
   1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
   1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:野村裕介
校正:浜野 智

映画時代 5

寺田寅彦

 欧州のどこかの寄席(よせ)で或(あ)るイタリア人の手先で作り出す影法師を見たことがある。頭の上で両手を交差して、一点の弧光から発する光でスクリーンに影を映すだけのことであるが、それは実に驚くべき入神の技であった。小猿(こざる)が二匹向かい合って蚤(のみ)をとり合ったりけんかをしたりするのが、どうしても本物としか思われないのに、それはやはりただなんの仕掛けもない二つの手の影法師に過ぎないのである。そのほかに、たとえば、飲んだくれの亭主(ていしゅ)が夜おそく帰って来て戸をたたくと女房のクサンチペがバルコンから壺(つぼ)の中の怪しい液体をぶっかけ、結局つかみ合いになるという活劇をもわずかな小道具と背景を使って映し出して見せた。この同じ見せものにその後米国へ渡って、また偶然出くわした。これだけの特技があれば世界を胯(また)にかけて食って行けるのだと感心した。これを見ておもしろがる人々はただ妙技に感心するだけではなくて、やはり影絵のもつ特殊の魅惑に心酔するのである。
 これらの原始的の影法師と現在の有声映画には数世紀の隔たりがあるにかかわらず、現在の映画はこのただの影法師から学ぶべきものを多くもっているかもしれない。
 有声映画に取り入れられる音声も、単に話の筋道をはこぶための会話の使用にはたいてい先が見えている。やはり「音の影法師」のようなものに遠い未来があるであろう。
 このごろ見たうちで、アメリカの川船を舞台としたロマンスの場面中に、船の荷倉に折り重なって豚のように寝ているニグロの群れを映じてそれにものうげに悲しい鄙歌(ひなうた)を歌わせるのがあった。これを聞いているうちに自分はアメリカの黒奴史を通覧させられるような気がした。
 砂漠(さばく)でらくだがうずくまっていると飛行機の音が響いて来る、するとらくだが驚いて一声高くいなないて立ち上がる。これだけで芝居のうそが生かされて熱砂の海が眼前に広げられる。ホテルの一室で人が対話していると、窓越しに見える遠見の屋上でアラビア人のアルラーにささげる祈りの歌が聞こえる。すると平凡な一室が突然テヘランの町の一角に飛んで行く。こういう効果はおそらく音響によってのみ得られるべきものである。探偵(たんてい)が来て「可能的悪漢」と話していると、隣室から土人娘の子守歌(こもりうた)が聞こえる。それに探偵が聞き耳を立てるところに一編の山がある。こういう例はあげれば際限なくあげられるかもしれないが、しかし概して自動車の音、ピストルの響きの紋切り形があまりにうるさく幅をきかせ過ぎて物足りない。ほかにいくらでもいいものがあるのを使わないでいるような気がする。試みに自動車とピストルとジャズの一つも現われないトーキーを作ってみたいものである。
 俳句にはやはり実に巧みに「声の影法師」を取り入れた実例が多い。たとえば「鉄砲の遠音(とおね)に曇る卯月(うづき)かな」というのがある。同じ鉄砲でもアメリカトーキーのピストルの音とは少しわけがちがう。「里見えそめて午(うま)の貝吹く」というのがある。ジャズのラッパとは別の味がある。「灰汁桶(あくおけ)のしずくやみけりきりぎりす」などはイディルレの好点景であり、「物うりの尻声(しりごえ)高く名乗りすて」は喜劇中のモーメントである。少なくも本邦のトーキー脚色者には試みに芭蕉(ばしょう)蕪村(ぶそん)らの研究をすすめたいと思う。
 未来の映画のテクニックはどう進歩するか。次に来るものは立体映画であろうか。これも単に双眼(ステレオ)的効果によるものでなく、実際に立体的の映像を作ることも必ずしも不可能とは思われない。しかしそれができたとしたところでどれだけの手がらになるかは疑わしい。映画の進歩はやはり無色平面な有声映画の純化の方向にのみ存するのではないかと思われる。それには映画は舞台演劇の複製という不純分子を漸次に排除して影と声との交響楽か連句のようなものになって行くべきではないかと思われるのである。
 こんな話をしていたらある人がアヴァンガルドという一派の映画がいくらかそういう方向を示すものだと教えてくれたが、まだ実見することができない。
 ここまで書いて後にウーファ社の教育映画で海の浮遊生物を写したものを見た。顕微鏡で見る場合では、眼前の顕微鏡と、その鏡下のプレパラートとの相対的の大きさがちゃんと意識されているのであるが、それがスクリーンの上に大きく写されたのでは全くそのままの大きさの怪物としか思われない。その怪物の透明な肢体(したい)の各部がいろいろ複雑微妙な運動をしている。しかしわれわれ愚かな人間にはそれらの運動が何を意味するか、何を目的としているか全くわからない。わからないから見ていて恐ろしくなりすごくなる。哀れな人間の科学はただ茫然(ぼうぜん)として口をあいてこれをながめるほかはない。これが神秘でなくて何であろうか。この実在の怪物と、たとえばウェルズの描いた火星の人間などを比較しても、人間の空想の可能範囲がいかに狭小貧弱なものであるかを見せつけられるような気がする。
 これを見た目で「素浪人忠弥(すろうにんちゅうや)」というのをのぞいて見た。それはただ雑然たる小刀細工や糊細工(のりざいく)の行列としか見えなかった。ダイアモンドを見たあとでガラスの破片を見るような気がした。しかし観客は盛んに拍手を送った。中途から退席して表へ出(い)で入り口を見ると「満員御礼」とはり札がしてあった。「唐人お吉」にしても同様であった。
 これらの邦劇映画を見て気のつくことは、第一に芝居の定型にとらわれ過ぎていることである、書き割りを背にして檜舞台(ひのきぶたい)を踏んでフートライトを前にして行なって始めて調和すべき演技を不了簡(ふりょうけん)にもそのままに白日のもと大地の上に持ち出すからである。それだから、していることが新米のファンの目には気違いとしか思われない。ちょん髷(まげ)をつけたわれらの祖父母曾祖父母(そうそふぼ)とはどうしても思われない。第二には群衆の使い方が拙である。おおぜいの登場者の配置に遠近のパースペクチーヴがなく、粗密のリズムがないから画面が単調で空疎である。たとえば大評定の場でもただくわいを並べた八百屋(やおや)の店先のような印象しかない。この点は舶来のものには大概ちゃんと考慮してあるようである。第三にはフィルムの毎秒のコマ数によっておのずから規定された速度の制約を無視して、快速な運動を近距離から写した場面が多い。そういうところはただ目まぐるしいだけで印象が空疎になるばかりでなくむしろ不快の刺激しか与えない。これはフィルムの上における速度の制限を考慮して、快速度のものは適当の距離から撮(と)るべきである。これも舶来ものを参照すればわかるであろう。第四にはセットの道具立てがあまり多すぎて、印象を散漫にしうるさくする場合が多い。たとえば「忠弥(ちゅうや)」の貧民窟(ひんみんくつ)のシーンでもがそうである。セットの各要素がかえって相殺(そうさい)し相剋(そうこく)して感じがまとまらない。これらの点についても、監督の任にある人は「俳諧(はいかい)」から学ぶべきはなはだ多くをもつであろう。それからまた県土木技師の設計監督によるモダーン県道を徳川時代の人々が闊歩(かっぽ)したり、ナマコ板を張った塀(へい)の前で真剣試合が行なわれたりするのも考えものであるが、これはやむを得ないことかもしれない。